2016年6月25日土曜日

「本能寺の変」の真実、信長の遺体、光秀の遺体と謀反理由、家康の伊賀越えと梅雪… 2016.6.25

「本能寺の変」の真実、信長の遺体、光秀の遺体と謀反理由、家康の伊賀越えと梅雪… 2016.6.25
歴史研究界が長年かかっても解明でききない軍記物に記された『太閤記』を原本とした吉川英治『新書太閤記』や『明智軍記』を原本とした作家司馬遼太郎『国盗り物語』で、さらにデッチアゲ? のNHK大河。光秀についていえることは、信長・秀吉・家康をはじめとする武将全般についていえる。ともかくマー辻褄の合わない事ばかり取り上げ、ワーワー言っている人達らの戦国時代ファン。こんなことが今の時代に必要なのか? 日本の将来かどうなるのかという重要な事態なのに…
以下は、ある方の参考ブログから引用…
光秀が「山崎の合戦後も生きていた」決定的証拠掴んだ!2014-06-08
家康の生涯最大の危機と言われた「神君伊賀越え」の物語は真実か~~本能寺の変4
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-100.html
本能寺の変の不思議 消えた織田信長と明智光秀
 http://kingfoolishdream.yokochou.com/Q-01.htm
本能寺の変で信長の遺体が見つからなかったのはなぜか
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-97.html
明智光秀は何故信長を裏切ったのか~~本能寺の変③.
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-99.html
ある仮説が出ているという。
 道中、徳川一行に同行していた穴山梅雪が別行動を取るという不可解な出来事が起きる。
  穴山梅雪は、甲斐武田家の一族。信長が行った甲州討伐のさい、信長に協力した功によって駿河の所領をそのまま所有することを許された。駿河の国主は徳川家康。
  梅雪は家康と別れて、宇治~美濃~甲斐というルートを取ろうとしたらしい。梅雪が連れていたお供の数は判らないが、家康とともに駿河に向かったほうが安全だと思うのだが、なぜだか別行動をとる。
その理由は「家康を疑った」からだそうだが、この窮地でなにを疑うというのか?
  梅雪の所領を奪い取るために、家康が信長討ち死にという虚言を使って梅雪を山奥に連れ出し殺害しようとしているとでも思ったのだろうか?
  家康と別れた後、梅雪は土着民(落ち武者狩り?)の襲撃にあって命を落としたことになっている。
■歴史的な文献は、真実だけが書かれているわけではない。複数文献に同じ内容のものが書かれているとか、遺跡や後世まで残された品々と文献の記述されに現地調査が合致するかなどで、その文献の信憑性が測られる。本能寺の変について書物や覚書、研究資料など様々考察していても未だ真相は明らかにされていない。
  明智光秀が謀反を起こした理由
  織田信長の遺体が見つからなかったことにより浮かんでくる生存説
  徳川家康の伊賀越えにみえる奇妙な点
  明智光秀の遺体の不自然さ
 など、奇妙な部分が多すぎる。そして、小説・NHKドラマ・映画などで脚色され鵜呑みにし翻弄されオカルトに変身。ミス情報「本能寺の変」真実は如何に?

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