2022年11月25日金曜日

古代文明1129① 目覚めた方が来館『秘密率99%「天皇」とは何者なのか?』『竹取物語の作者空海が「かぐや姫」に隠し込んだ巨大秘密』購入! (...

超古代文明 2.シュメール文明と卑弥呼の邪馬台国「徳之島(奄美)」竹取翁博物館(国際かぐや姫学会)2015.7.12 【YouTube】http://youtu.be/7ZLwxiZVurY https://youtu.be/CryOhYYOc_M https://youtu.be/0eQhIKGvlh8 https://youtu.be/zhANpq3AY14 訪問された方は、NPO法人の方でシュメール文明と卑弥呼の邪馬台国「徳之島(奄美)」の超古代史研究やインドのヒンズー教それにペルシャのゾロアスター教などへの詳細な話となりました。  館長もこれらに大変興味を持っておられるだけに、次々と話題が展開し日本と世界との比較検討へと話がはずみました。さらにNPO法人の方だったので歴史の話だけでなく一連のメディア報道への不満と疑問点の分野にまでおよび4時間余りの時間に達していました。最近この方のような日本社会の歴史に疑問を持っている訪問者が続出しており、まさに世界歴史の「駆け込み寺」へと変貌しつつあります。  竹取翁博物館では、他所では取り扱ってない分野を詳細に展示説明しているだけに、古代史や宗教に疑問を持ち、さらにイスラム教やイスラエル・イラン・イラク等を知りたいと遠くから訪問される方が増えています。 ダビデの星24弁、等から日本の天皇がどのような方であったのか、また、魏志倭人伝での邪馬台国の東に沢山の島があったという説を述べている、地図も見つかっていて、卑弥呼のやまたいこくが、奄美の徳間の島の、ノロ・ユタ等のシャーマンがいることも判明している。 日本国士学会の田中英文名誉教授が述べる中国から4点ほどの邪馬台国について記した文献があるが、「『魏志倭人伝』の事について記した一番詳しく記している『魏志倭人伝』を見ると、卑弥呼の「邪馬台国」の事を示すない様子が、現在の南西諸島からは見えない島が沢山あるという表現があり、不明だったので、「なかった説が出ていた」しかし、ムー大陸時代の大変古い地図が出てきていて、調べると、それらに記す地図から、ムー大陸があった時代の地図が中国あたりから出てきた。それによると、町に、ムー大陸時代の地図であり、それらに、奄美の東側に沢山のとまがあり、それらがムー大陸を表す、『竹ノ内文書』に記す地図は、ムー大陸時代のおよそ、1の万年から買う全万年前の地図の事を、鎮守がどこかからきいたり、してすいたが、その当時にあったのではなく、遥か昔のムー大陸時代の事だと判明したのである。Bk コのビデオは、2015/07/12ゴロにouTubeで発信していて、博物館で述べていたが、その後は、他の竹取物語の空海説について、はっきりわかってきたために、邪馬台国が、おろそかされていた。  今回、(株)スカイ竹取翁という法人の会社を設立して、色々なことを見直しするうちに、その当時は邪馬台国の徳之島説を述べていたが、むしろ、竹取翁博物館の主体が、世界最初の物語が「竹取物語」であり、あの偉大な空海説が浮上してきて、邪馬台国説が浮上していたのに、方向が「日本の天皇家の方に傾き」しばらくせぬうちに忘れてしまっていた。 しかし、最近になって、東京大学卒で、東北大学の田中名誉教授(国士学会会長)  が、「卑弥呼の邪馬台国はなかった」という事を述べておられるYouTubeを拝見した。これが、まかり通ると大変なことになる。つまり、以前から日本の本州各地での邪馬台国説は『魏志倭人伝』に合わないが、竹取翁博物館で述べている邪馬台国は、ムー大陸時代の太平洋に浮かぶ、奄美諸島であり徳之島の伊仙町面縄のノロ・ユタの祭祀をしていた「卑弥呼」と見られる遺骨も発掘され、「超古代の祭祀場である先天道」もあり、ノロ・ユタの祭祀場も見つかっていて、ムー山、ムー川。も徳之島にあり、徐福が最初にやってきていて、三神山もあり徐福の像らしきものもある。まさに『魏志倭人伝』に記す、全てがあてはまる」と10年前から述べていた。しかし、東大や、京都大学では、「邪馬台国」の卑弥呼が本州になくてはならない。また、起源250年前後説のみであり、世界最古の歴史書である『竹内文書』が疑問書とされ、殆どの学会では取り上げるのをタブーとされていたのである。つまり、なめし皮で歴代の物部氏である天皇の元で竹ノ内宿祢によって記されてきた「古代文字」を認めると具合悪い在日勢力の人達により封印されてきていたのである。 『竹内文書』の、天神7代を見て頂きたい。邪馬台国の「卑弥呼」表示がみられる。また。その次の上古一代には、卑弥呼の後を受け継いだ、「豊(トヨ)ヨ」さんの名前が記されている。その上古1代に記す「豊(トヨ)」さんの前には、親王が引き継いだが、倭国が乱れたので、「卑弥呼が亡くなった後を引き継いだ「豊(トヨ)」が、出てきて、倭国に平和がやってきた…」で、『魏志倭人伝』は終わっている。 しかし、最近の風潮では、それらが出てくると大変具合悪い方たちよって封じられ続けていたのである。

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